私は熊本のとある田舎で育ちました。
小学校、中学校と、のびのびした学校生活を送っていました。
私は音楽が大好きだったので、中学校時代は吹奏楽部に入部し(当時結構上手な中学校でした)、コンクールで良い成績を残すために朝練。昼練。夕方延長練習にあけくれておりました。
そんな私は高校は普通の進学佼に入学し、そこから音大へいき現在はピアノ講師をしています。
受験校は親や先生に説得されて決定
まず、中学時代、地元で選べる高校は商業系か、農業系、生活系、工業系、普通科 の5つぐらいしか選択肢がありませんでした。
本音をいえば、すこし離れたところに行って、寮生活をしながら音楽科のある学校に行きたかったのですが、両親を説得できずに、結局、地元の進学佼の普通科を受験することになりました。
でも、普通科にいっておけば、大学受験の時に視野が広がり、高3の時に「自分がやりたいと思ったジャンル」の大学へも行きやすいよ。
と、当時担任の先生にもいわれました。
でも、普通科・・進学校・・私は中学でいうと当時中の上?くらいの学力で、どういっても頭が良いとはいえませんでした。
受かる気もしておりませんでした。
しかし、ここしかありませんでした・・。
塾へ通うも3日で挫折
受験の仕組みでは「前期試験」「後期試験」の2つがありました。
前期試験では、小論文と面接 後期試験では通常のテストです。
私はどちらにもかけてみようと思い、2つの試験にエントリーしました。
前期試験はなんと6倍の倍率でした。
受かったらラッキーだねという気持ちで前期試験は受験し、後期試験にむけて大嫌いな勉強を頑張りました。
特に苦手だったのは数学で、朝5時に起きて数学の勉強にはげみ、放課後も勉強にはげみました。
その様子をみた母が、塾の申し込みをしてくれたらしく、1度塾へいってみました。
でも、その塾の雰囲気になれることができずに、なんと塾を3日でやめてしまい、両親には大変不安な思いをさせてしまいました。
友人に教えてもらいながら、毎日必死でした。
不安でいっぱいで押しつぶされそうでした。
前期受験は、もちろんだめでした。
後期試験に向けて必死で勉強し、でも不安ばかりがつのり、よく泣きました。
受験生が行うテストでも、判定がなかなか良い点数がとれず・・毎日深夜まで勉強をしていました。
後期受験の手ごたえは、あるような、ないような、どちらかというとありませんでした。
母と一緒に合格発表にいきました。
ボードをみる瞬間はもうドキドキで・・先にきていた友人がいいました。
「うちの中学から受けた人みんな合格!」
わたしはボードをみる間もなく、合格をしりました。
本当にうれしかったです。
受験を振り返って今伝えたいこと
今しかできない努力ってあると思います。
体力もあるし、精一杯やってみてください。
もう無理だ・・と思うこともあるかもしれません。
その時は無理せず泣いて、沢山下を向いてください。
そのあとは、もう、上を向くことしか選択肢はありません。
みんなが温かい目で見守っています。
自分のできるかぎりの事に挑戦し、やり残さないようにしてください!応援しています。