加須市で感じた「行き餌」と、釣り人の小さな哲学
最近、加須市にある釣り場を巡るのがちょっとした楽しみになっています。
東京から電車で1時間ちょっと。のんびりした空気が流れていて、風の匂いに土の香りが混ざると、それだけで心がすっと落ち着くんです。
その日は、友人に誘われて「加須吉沼」に向かいました。釣り道具を担いで、途中のコンビニでコーヒーを買い、車の窓を少し開けて走る。こういう時間こそが、僕にとっての「週末」なんですよね。
行き餌をめぐる静かな時間
釣り場に着くと、常連さんらしきおじさんがバケツを手にしていました。中には、ピチピチと跳ねる小さな魚。これがいわゆる「行き餌」なんだとか。
昔から、自分で釣りに使うエサを持ち込む人は多いですが、最近は「生エサ禁止」の場所も増えていて、加須吉沼もそのひとつ。自然を守るためのルールだと聞くと、納得します。
でも、おじさんは笑って言いました。
「餌も生き物だからね。人間の都合で使うなら、ちゃんと感謝しないと」
その一言に、はっとしました。
行き餌って、ただの“道具”じゃない。魚を釣るための手段だけど、それ以上に“命を分けてもらう行為”なんですよね。
加須市の水辺で感じる、人と自然のバランス
釣り糸を垂らしていると、風が少し冷たくなってきました。水面に映る雲がゆっくり形を変えながら流れていく。
釣れる魚の大小なんて、正直どうでもよくなってくるんです。
加須市で“行き餌”という言葉を通して、僕が感じたのは、自然と向き合うときの「静かなやり取り」でした。
加須市の釣り場は、どこもきちんと整備されていて、マナーを守る人が多い印象です。ゴミを持ち帰る人、子どもと一緒に釣りを教えているお父さん、エサを分け合う見知らぬ釣り人。
それぞれが自然と共に時間を過ごすことで、ゆるやかに「命の循環」を感じているのかもしれません。
加須の風に想う、次の釣り日
帰り道、車の中でふと思いました。
「行き餌」って、結局のところ“命をつなぐ合図”なのかもしれません。
釣りを通して、生き物の命、自然の恵み、そして人の思いやり。そんなものが、加須の風の中でふと交わっている。
またあの場所で竿を出したくなりました。
次は、餌だけじゃなく、もう少し「心の準備」も持って行こうと思います。